歴史・沿革

孝徳天皇草創、法道仙人が宝橋山
と号したことが始まりといわれる。
草創から近年までの歴史をご案内。

 
十一面観世音菩薩

(写真は御前立)

山開創は孝徳天皇大化2(646)年播磨国法華山一乗寺を草創して、この地を訪れた法道仙人が、黒頭峯(くろづほう)の嶺にかかる金銀珠玉の雲の架け橋を見て宝橋山(ほうきょうざん)と号したことが始まりといわれる。いにしえの頃、黒頭峯の堂之尾(どのお)と呼ばれた中腹には、七堂伽藍二十一ヵ坊の堂宇を誇ったが、天正年中、明智軍の兵火に遭い、消失した。
その時、氷上柚子村(ゆずむら)の人が雑兵にまぎれて守り奉ったのが、現存本尊十一面観世音菩薩と伝えられている。
この十一面観世音菩薩は、稽文会・稽首勲両仏師の作で、大和(奈良)長谷寺の観音像と同木同作と伝承され、普段は秘仏として宮殿(くうでん)の中にお祀りされているが33年に一度御開扉される。
兵火に遭った後、本堂は、聖徳2(1714)年。本尊脇侍の龍王権現と雨法童子は、共に永禄10(1568)年の作である。
近年では、平成7(1995)年に新・丹波七福神霊場として弁財天が奉安された。また、平成13(2001)年に檀信徒の先祖供養、回向道場として新たに阿弥陀堂が建立された。山門から本堂にかけての寺領は春には桜、夏には紫陽花、秋には紅葉、冬には椿と四季を通じて花の寺として知られている。特に平成25(2013)年より丹波篠山市内文保寺、大国寺と共に「丹波篠山もみじ三山」として秋には多くの方が訪れている。

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